誰でも使える!面接対策に大切な3つのポイント!!
面接対策って皆さんはどうされていますか?
採点や評価基準が不明確なものだからこそ、その対策に悩んでいる方は多いのではないでしょうか?
「何から始めればいいかわからない」「友達にやってもえらえばなんとかなるっしょ?」 そう思っているあなた!このサイトを参考に、一緒に「合格る面接対策」をしていきましょう。
📝 目次
その1:なにより練習回数が大事
面接の練習は最低20回やります。面接で大切なのは、いかに自分の頭の中を相手に見せるかです。これは、数をこなしていくうちにどんどん上達します。英語での面接を控えていた私は、日本語で15回、英語で20回練習をしました。とにかく、場数です。
練習で重要なのは、必ず誰かを相手に練習をするということです。練習相手は、親密な関係ではなくプライベートなことはあまり知らない「知り合い」ぐらいの関係が良いです。あまり親密な関係だと、「話さなくてもわかっているでしょう?」という甘えが出たり、自分のanswerに対する客観的な評価が得られにくいからです。職場の他部署の知り合いや、怖くてプライベートな話はしたことのない先輩などはいい練習相手かもしれません。自分の目標としている専門分野に精通した人に練習してもらえるならば、そうするべきでしょう。
とにかく場数を踏んで、うまく答えられなかったと思う箇所を徹底的に練習し、スムーズに自分の考えを言葉に表現できるようにします。
その2:伝えるのは内容よりも熱意
次に、練習では何に意識すべきかを説明します。受験者が最も注意を払うべきは、話の内容よりも、熱意を伝えることです。志望する大学への面接なら、どれだけその大学が好きなのか、就職のための面接ならば、どれくらいのその仕事に魅力を感じているのか、態度で示すことです。
では、どのように熱意を示すかですが、私に面接を教えてくださった先生は、面接を告白に例えて教えてくれました。初対面の女の子に向かって、「あなたのことが好きです。」と言っただけでは、振り向いてもらえないでしょう?それと同じで、面接官に向かって「あなたの大学に入りたいんです」と言っただけではダメなんです。
なんでその大学が好きなのか、どこに魅力を感じているのか、どうして他の大学じゃダメなのか、それをちゃんと伝えてあげなければなりません。そう、「思いは言葉にしなければ伝わらない」のです。
それも、つまらない顔をしながら淡々と説明しても無駄です。熱意を伝えるためには、キラキラした目で伝えなければなりません。キラキラなんかじゃたりません。もう、キラッッッキラな目で伝えなければなりません。もちろん、声のボリュームやトーンなども重要な要素です。
その3:相手の求める情報を理解すること
内容よりも熱意が大事だと説明しましたが、内容が重要でないという意味ではありません。繰り返し面接練習をして、自分のパッションを量的に十分にアウトプットできるようになったら、今度はクオリティを磨いていきます。
その上で大切なのは、相手が求めている情報を理解し、それに対してロジカルに説明することです。
例えば、面接において必ず求められる情報は以下の三つです。
1あなたは何者か
2あなたは何をしたいのか
3それに対して大学側(企業側)はあなたに何を提供できるのか
です。
1に該当するのは自己紹介です。
まず、面接官が知りたいのは、「君は何者なの?」ということです。だって、面接官はあなたがこれまでどんな人生を歩んできて、何に価値を感じ何を考え今自分の前に受験者として座っているのか知らないのですから。そのため、自己紹介では、名前を名乗るだけでなく、自分の職業や職場における役割、性格や長所など、「君は何者なの?」の答えになる説明する必要があります。
2にあたるのは、今後のビジョンです。
自己紹介でわかったのは、あなたが何者かです。この時点では、あなたが今後何をしたいと思っているのか、面接官はまだわかりません。つまり、面接官の頭の中は、「うちの大学を選んでくれたのは嬉しいけど、何がしたくてうちを選んでくれたの?」という状態です。だから、次に、あなたのビジョンや、どのように社会に貢献していこうと考えているのかを説明する必要があります。
例えば、「私は将来的に看護師として子供の命を救えるようになりたいと考えています。」と伝えれば、あなたがやりたいこと(単に看護師になるのではなく、子供の看護がしたいというところまで)が明確に伝わります。ここで大切なのは、面接官がイメージしやすいように、バッチリ具体的なビジョンを伝えることが求められます。
3では、あなたが大学(企業)側に求めていることを説明します。
1と2を理解した面接官が次に考えることは、「この子(受験生)に対して自分たち(大学or企業側)は何をしてあげられるだろうか」ということです。これは2が既に十分に具体的に説明されていれば、そこまで深く説明する必要はないかもしれません。
例えば、受験先の大学に小児看護で世界的に有名な教授がいるとするならば、2で「小児看護がしたい」というビジョンを伝えた時点で、「この子は、その教授に小児看護を教えてもらいたくてこの大学を選んだのだ」と推測できるからです。しかし、2が不十分な場合には、大学側はこう質問してくるでしょう。「なぜ他の大学ではなく、本学を選んでくださったのですか?」 そう聞かれたらチャンスだと思ってください。ここで、今まで練り上げた志望動機を存分に説明するのです。「〇〇がしたいと考えているけど、私には△△というスキル(もしくは知識)が足りません。その点で、貴学の××というプログラムは私にとって理想的であり必要不可欠です。これは、他大学では得られないものであり、それゆえ、私は貴学への進学を強く希望します。」と答えれば、◎がもらえるでしょう。
これらを説明することで、あなたという人間が何者で、将来どのように社会に貢献し、そのために大学側があなたをどのようにサポートすれば良いのかが明確になり、それら全てが大学側の要求(アドミッションポリシー)に合致していれば、もはやあなたを落とす理由がないのです。
まとめ:
何より大切なのは、練習回数を20回以上こなすこと
次に、キラキラした目で、どれだけ魅力を感じているのか伝えてあげること
最後に、相手の求める情報を満たしてあげられているか意識しながら、回答をブラッシュアップすることが大切です。
娘のお宮参りに行ってきました!
今日は、私の入試のために2ヶ月遅れてしまった娘のお宮参りをさせていただきました。
お宮参りとは、住んでいる土地の神様に赤ちゃんが生まれてから一ヶ月が経ったときに挨拶する儀式です。出産前に安産祈願に神社に行くのが一般的ですが、その神社に「無事に産まれました」とお礼と報告に行くようなイメージです。
文化とは面白いものです。辞書で引いてみると、”文化〔culture〕とは社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教,種々の制度などはその具体例。”とあります。
子供を守るのは誰の役割でしょうか?
おそらくそれは、基本的には両親の役割で、神様の役割ではありません。子供に何か予期せぬ事故があったときに、その責任は神様でなく、親にあるからです。子供が風邪にかかったからと言って、それを神様のせいにはできないですもんね。ともすると、神様にお願いしなくても、親が子供を守れればそれでいいという考え方が成立するかもしれません。
私たち夫婦は無宗教で、神様は絶対にいるとか、神様なんかいないとか、正直どっちでもいいと思っています。
ではなぜ、神社に行ってお宮参りのような儀式をするのでしょうか?
日本の文化において、それが古くから根付いたもので、そうすることで「神様に守っていただいている」というなんとなくの精神的な安心感が生まれるのかもしれません。また、「日本の文化にしたがっている」という、その行動をとることで、日本という社会の一因であるという安心も得られるのかもしれません。マズローでいう、社会的欲求というやつですね。
安心感とか、精神的な安定というのは、人々の健康において非常に重要な要素となります。
WHOは健康の定義を「単に疾病でないというだけでなく、身体的・精神的・社会的に安寧な状態」としています。
無宗教であったり、神様を信じるとか信じないとかに関わらず、このような儀式を通して、子を守る親が精神的・社会的に安定した状態にあろうとすることは、健康にとって良いことであるのかもしれません。
そんなことを考えながら、娘と家族ととても穏やかな良い時間を過ごすことができました。
男性の育児休業とジェンダー
今日は毎日育児に追われる奥さんに変わって、丸一日育児を変わって奥さんをフリーにしました。
奥さんは髪を切ったり、ランチをしたりと羽を伸ばせたようです。
夕方までゆっくりと遊んできていいよと伝えてあったものの、昼過ぎには娘の様子が気になったようで電話がかかってきました。そこから奥さんと合流して、少し買い物をしました。
最近は男女の役割について様々な議論がなされ、ジェンダー不平等などいくつかの問題については政治的に解決していこうという取り組みがなされています。
父親の育児休業は、その代表的な例かもしれません。自分が育児休業をとってみて感じたことは、育児において生物学的な性役割という点で母親にかかる負担は多大であるということです。
奥さんは、娘がなくと夜中でも授乳をしなければなりません。22時に寝かしつけ、1時に泣いて起き授乳、5時に泣いて起きて授乳、8時に泣いて起きて授乳という生活です。これでも大分間隔が空いてきた方で、1ヶ月前は本当に2時間おきに起こされていました。
もちろん、人工乳(粉ミルク)にするという選択肢もありますが、子供の免疫機能や、乳腺炎などの懸念から、できるだけ直接母乳で頑張るというお母さんは少なくありません。
すると必然的に、父親にその役割を変わることができず母親の負担となります。
これを、毎日続けているのです。これに掃除に洗濯に料理が加われば、体調を壊したり、産後うつで心を病むのも当たり前に思えてしまいます。
お父さんがどれだけ大変な仕事をしていようとも、そんなお母さんに対して傲慢な態度は取ることはできません。
引用:United Nation
私は小児科で働いていながら、ここまで過酷な生活のなかで子育てをしているのだとは、知りませんでした。大変なのは、頭では分かっていたけど、実際にそのような生活を送ってみると想像を絶するものでした。
男女差別をなくそうとか、ジェンダー不平等を改善させようとか、口にすることは簡単ですが、まずは女性達がどんな困難さを抱えているのかをリアリティを持って知ることは、本当に重要であると思います。
大学院合格
ついに大学院に合格しました!
まさか自分がたったの1年で公衆衛生大学院に合格できるとは思いませんでした。
そもそも、大学院にいくことを決意したのはちょうど一年前。真冬の北海道で開かれたとある看護師のキャリア支援セミナーがきっかけでした。
結婚をして、所帯をもち、自分の兼ねてからの夢であった海外協力はボランティアとしていくのでは実現し得ないと考え、プロとしての海外協力を決意し、MPHに関心を持ちました。
大学生の頃に憧れていた、ハワイ大学の疫学者(元看護師)の方が日本で講演会をやると知り、即座に東京から北海道に飛びました。
そこで直接頂いたアドバイスを下に、TOEFLに挑み、公衆衛生大学院のリサーチを始めました。
しかし、初回のTOEFLですぐに自分のあまりの英語力のなさに、唖然とします。初回のスコアはなんと21点だったのです。
ここから死に物狂いの英語学習生活が始まります。
小児集中治療室でフルタイム(もちろん夜勤あり。三交代勤務。)で仕事をしながら、平均10時間/日 の学習を毎日継続しました。
過労で自分が病院のお世話になることもありましたし、あまりに勉強に熱中するあまり奥さんを泣かせてしまうこともありました。
しかし、なんとかTOEFLのスコアも徐々に上がり、英語での筆記試験と英語面接に対応できるまでの学習成果が得られるようになりました。
結果を見た時は、号泣しました。
いつも勉強しているミスドで結果を見て、店から飛び出し奥さんに連絡。電話がつながった瞬間に涙が溢れ出し、二人で号泣しました。
28歳のおじさんが、ミスドの店先で電話をしながら大号泣しているという異様な光景だったと思います。笑
何はともあれ、合格できたこと、これまで多くの困難を乗り越えてきたことは自分にとって大きな自信につながります。
支えてくれた、奥さん、塾の皆さん、職場の皆さんに感謝です。
これからも頑張ります!
2019/06/15 学習記録
今日は英語学習における英単語学習の重要性について書いておこうと思います。
英語学習において単語学習は最も重要です。
これは、私の英語学習におけるメンターの言葉であり、私自身もそれを実感しています。
英単語は、いわば試験という戦場で戦う上での武器になります。
TOEFL始め、英語技能試験で高得点を取ることは、超強力なモンスターと戦うことに等しいです。
英語学習者にとってそのモンスターはまぐれで倒せるようなものではありません。
日々訓練をして、経験値を上げ、使える技や魔法を増やさねばならないのです。
それはつまり、問題になれることや、難しい文法を扱えるようになることを意味しますが、それらは何より単語がなければ到底身につくものではありません。
giveやmakeなど会話をする上で欠かせないワードは、いわばパンチする、防御するといった基本動作に等しいほど基本的なことで、これらはとにかく繰り返し使うことで、その精度が増します。その技から派生する技をも扱えるようなります。
一方で、considerableやexceedinglyなどその単語ひとつだけでも覚えるのが難しい単語もあります。これらは、扱えるようになるまでは時間がかかりますが、使えるようになると、speakingやwritingの表現の幅が飛躍的に伸びます。また、これらは長文の中でも1度か2度しか使われないため、見つけた時にはレアキャラにあったつもりで、そのキャラクターをゲットするつもりで心構えしておくと非常にものにしやすいです。
これまでの私の英語学習は、あまりにも文法の基本構造に対する知識がなかったり、経験値が少ないことから、「慣れる」ことに必死でした。いや「必死にしがみつく」といった方が正確かもしれません。しかし、徐々にそれらが補われてきた実感があります。
以前に比べて、英文の構造が早く掴めるようになったことや、スピーキングをしていてもどのように文法を組み立てたら良さそうかという見当がついてきたことがその裏ずけと言えます。
そこでこれからは、少し英語学習に対する姿勢を変えてみたいと思います。
具体的には、
1今までわかっているつもりだったけど、きちんと理解できていない単語「誤解語」を修正していく作業をしたいと思います。
今までは誤解語が生じないぐらい語彙が少なかったので、語彙が増えてきた今磨べきことはそれらを鍛錬する作業です。これまで以上に単語たちと仲良くなって、その子達のことを生い立ちも含めて語れるほど詳しくなりたいと思います。
2単語に対する反応速度をあげたいと思います。
本当は英語から日本語、日本語から英語とどちらもやりたい気持ちはありますが、英語から日本語は徐々に完成度がキープされてきたので、ここで日本語から英語にすることで一気に定着化させていこうと思います。そして、この作業が2週したらまた英語から日本語にして、徹底的に反応速度を短縮させます。それまでの二週間、英語から日本語にする反応スピードは、podcastのリスニングによって維持したいと思います。
来週からも学習時間は維持したまま、英語モンスターを見つめる角度を少し変えてみてみることで、そのモンスターの突破口を探していこうと思います!!
2019/05/15 学習記録
今日は日勤で5時間25分の学習時間が取れました。
今日はspeakingをやっていて気づいたことを書こうと思います。
それは、通勤時間に1日20分スピーキングの練習をしていただけでは、上達しないと言う事です。
どう考えても、圧倒的に英語を喋っている時間が短いのです。
最近では週に40時間ほど学習時間を取れていますが、そのうちレッスンも含めてスピーキングの時間は8時間30分。
4セクションあることを考えれば、悪くない時間配分とも思えますが、よく考えてみたら、1週間は168時間。そのうち起きている時間は4分の3として、126時間。
126時間のうち、英語を喋っている時間がたったの8時間30分ということです。
つまり、全く足りません。
明日からは、徹底して日常生活を英会話化していこうと思います。
SDGs フォーラム
先日、日経主催のSDGsフォーラムに行ってきたので簡単にまとめます。
メインテーマはSDGsなので、研究者や大企業の社長の方々がそれぞれの専門分野から、どのようにsustaainabilityを持ってGOALに進んでいくかと言う見解を熱く語ってくださいました。
1日を通して、度々耳にしたkey-wordは、
・持続可能性
・経営
・経済
・環境問題および気候変動
・パリ協定
・グテーレス国連事務総長
・society 5.0
ここからわかることは、17項目のターゲットに向かい各国・社会が努力しているわけですが、いかにsustainableにやっていくか、そのためのお金の問題がサブテーマとしてあげられそうだと言うことです。
お話くださったのは会社のトップの方々だったので、企業のメイン事業からいかに資金を作り、SDGsの取り組みにあて、またSDGsの取り組み自体からもいかに利益を生み出すかについても言及してくださっていました。
中でも、一橋大学大学院教授の伊藤邦雄氏の言葉に勇気付けられます。
「利己的行動が、同時に環境にも優しい行動になった時、それは利他的行動となる。」
SDGsは、世界の全ての国々がより良い未来づくりのためのGOALです。これは、自己犠牲の元に成り立つ世界平和でなければ、自国中心の利益の追求でもありません。
つまり、それぞれが同じGOALに向かって、持続不可能にしてしまいうる自己犠牲なく、また利益の独占もせずに、共同して利益を生み出し続けていくことに他なりません。
つまり、自分の利益を考えることは"悪"ではなく、その過程もしくは結果が、同時に他者にとっても利益のある行動になるように工夫することで、利他的行動の実現ができるということです。
引用:ユニリーバ
ユニリーバでは、自社製品の使用状況調査のために、ある国においてどれだけの人々が石鹸付きの水道にアクセスできているかを調査したそうです。
これは、それ単体だと利己的行動に当たりますが、この調査によりどれだけの女性あるいは児童が衛生的な水道を利用できているのかという調査として副次的に利用でき、公衆衛生の面でSDGsに貢献できたそうです。
それだけでなく、これらの結果を用いて、石鹸を用いた手洗いの重要性を喚起できれば、自社のみならず他の石鹸会社においても売り上げが向上することにつながる可能性があります。
このように自分の利益が副次的に他者の利益に繋がり、その利益がさらなる利益拡大につながる場合、正の循環が発生し持続可能性にを生み出します。
他者のために自分を犠牲にするというネガティブな側面なく、SDGsの取り組みに貢献できる可能性があることを確認でき、非常に勇気付けられた機会でした。